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2009年2月

お伊勢参り

かねてから念願だった「伊勢神宮」に行って参りました!
結構みんな行っているのに、わたくしは一度も行ったことがなかったんですね。001_2

またまた大荒れの天気の中、早朝からせっせと出掛け、けれど新幹線で西に向かうほど晴れ間が広がっていきました。こういう時、神様の祝福を受けている気がする、と思うのはわたくしだけでしょうか。

伊勢神宮には、外宮と内宮とがあります。おまつりしている神様が違うのですね。そしてさら に別宮、摂社、末社、所管社などを入れると125ヵ所もあるそうです。
とりあえず、外宮内と内宮内の別宮は行ってみましたが、すべてを一日で周るのは困難です…。また、次回ゆっくりと周ってみたいと思います。

右の写真は、内宮です。外宮に比べ、内宮は広く、歩く距離もたくさんあります。平日にも関わらず、たくさんの人がお参りにきていました。
わたくしは、神社仏閣が大好きです。落ち着くのですね。子供のころから一人で(というか愛犬くんを連れて)毎日お寺にお散歩に行きました。境内で一人ボーッとしながら、考え事をするのが大好きでした。東京に住んでからも、実家に帰るたびに愛犬を連れてはボッーとしに行きました。生きていると色んなことがあるし、ものすごい嵐に巻き込まれることもあります。けれどその度に立ち止まり「ここがわたしの原点だ。足元を見失わないようにしよう。」と教えてもらえる場所があるのは幸福なことです。

002 京都にもいくつかお気に入りの神社仏閣がありますが、そういう場所の空気はやっぱり他とは違う気がします。ピーンと澄んでいて、清らかで神々しい雰囲気。けれど、冷たくない。威厳のある高貴な雰囲気の中にも大いなる愛を感じる場所。うーん、表現が難しいですねぇ。伊勢神宮にも同じものを感じました。すぐ隣を流れている五十鈴川も清らかで美しい川です。

さて、お待ちかねのお昼です!内宮からすぐのおはらい町で食べました。贅沢にも伊勢名物「手こね寿司と伊勢うどんのセット」!満腹です。うどんはミニサイズなのですが、写真を撮る前に混ぜちゃったんです(食べかけではありましぇん)。さっぱりと出汁醤油?がかかってい004て、美味しかったです。このおはらい町&おかげ横丁は、女子には嬉しいお土産屋さんのオンパレードです。購買意欲に駆られ、2、3時間はあっという間に過ぎてしまうかと思います。そして、デザートは赤福本店で赤福! できたてはやっぱり違います。家族にも福を分けてあげようと、今日のおみやげは「赤福」にしました!

そして、二見浦へ移動。
強風&寒風吹きすさぶ中、夫婦岩の観賞です。それにしても、すごい風です。歩道橋の上でわたくしの体は宙に浮きました。あそこはいつもそうなのでしょうか?帽子は間違いなく飛んでいってしまいますね。昔の人は、ここで禊をしてから、伊勢神宮へ向かったそうですが…、すごいです…。
さてさて、ここは海岸沿いにお参りをしながら進みます。
005 夫婦岩以外にも周りには岩がたくさんあって、行く価値はあると思います。


伊勢は神社がたくさん溢れる信仰の街です。古くからの信仰が今も大事にされていて、控え目だけれど、堅実な信仰心を感じる街でした。
京都ほど人も物も溢れていないし、のんびりしていてどこか懐かしい匂いがします。個人的にも海が近い、というのがまた良いですね。食べ物が美味しそうです。
次回はもう少し足を延して、リゾート地に泊って、ゆっくりと今回は行けなかったお宮も周ってみたいと思います。

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復活愛

こんにちは。いやぁー、もう2月も終わりですな。
早い、早い。特に2月は日数も少ないせいか、はたまた諸事情により仕事が忙しくなってしまったせいか、あっという間の1ヶ月でした。
会社帰りにどこかに寄る余裕すらなく、ただただ日々残業…、仕事に追われる毎日でした。
こんなことで良いのか?わたし!!といった感じです。

さて、そんなわたくしにも世の中で起きている出来事を教えてくれる人がいて、今週は復活愛が話題になったそうですね…。復活愛ねぇ。。。って最初は思いましたが。
基本、わたくしは自分のことをさっぱりしている、と思っています。そう、恋愛に関しても。
そりゃー、もちろん、別れの直後は生きていけない、と思うほど落ち込むし、本当に好きだった人を忘れるのには最低1年はかかります。が、その後はさっぱりしたもので、相手を美化したり、思い出に浸るようなことはあまりありません。。。「別れた男なんてどうでもいい」、というのが女の本音で、出てくるのは、意外と悪口ばかり。
それを聞く男性諸氏の皆さんは、「男は絶対に元カノの悪口は言わないのに」と苦笑いをします。でも、女性は結構そんなもので、現実主義と言われる所以なのかもしれません。

そんな女子の皆さんでも「生涯で唯一愛した人」だとか「奇跡が起きた」だとか「大好きな人のことをずっと思っていれば想いは絶対に通じる」だとか、今回のコメントを聞いて、少し鳥肌が立ちながらも、なんだか少し羨ましいなぁー、なんて思ってしまった人もいたはず!
わたくしも、昨夜ジムのお風呂に浸かりながらしんみりと考えてしまいました。
ずっと好きな相手ともう二度と会いたくない、と思う相手の差はなんだろう、と。
わたくしにも今でも会いたい、と思う人はいます。でも、たぶん二度と会うことはないのだけれど、彼がどこかで今も頑張って生きている、という事実が私を勇気付けてくれることもあります。何も聞かなくても、話さなくても、つながっている感じ、とでも言うのか。
けれど、大多数の元彼については何の興味もわきません。
それは、愛の深さにもよらず、付き合っていた時間の長さにも関係しないように思うのです。では、何が「差」をつくるのか、と考えていてわかりました。
それはやっぱり、別れ方です。
思いを残した別れ方は永遠に心に美しいまま残ります。反対に激しく罵り合い、または完全燃焼して別れた相手のことは自分の中でちゃんと終っています。
それに、人は別れのような究極的な場面でその人の本質が表れます。逃げたり、誤魔化したりしたりする人もいれば、誠実に向き合う人もいます。その時に人としての真価が問われ、それは相手の印象として永遠に残ってしまうのだと思います。
どちらが良いのか、それはわかりません。
けれど、お互いが同じように思い続け、何年の時間が過ぎようと再会しても同じトキメキを感じることができるなんて、それはやっぱり縁のある相手なのだと思います。
わたくしも今でも「この人と出会えて本当に良かった」と思える相手のことは、心の中でそっと声援を送り続けています。
元彼の悪口を言ってストレス発散しながらも、それでも唯一素敵な恋だった、と思える相手の幸福を祈っている女子の皆さんもきっと多いことでしょう。
乙女心は複雑です。

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事任八幡宮

こんにちは。みなさまお元気ですか?

002 さて、ちょっと前のバレンタインデーの日、わたくしは静岡県掛川市にございます「事任八幡宮」という神社に行って参りました。
この神社については、先日ひょんなことから小耳に挟み、是非行きたい!と神社仏閣好きなわたくしは早速行って参りました。
ここは、「ことのまま」という言葉が表す通り、言葉のままに願いが叶う、と言われている歴史の古い言霊の神社なのだそうです。
HPなどを見てみても、かなり古い神社だということがわかりますし、かの有名な「枕草子」にも清少納言が「いとたのもし」と書かれているのだそう。
江戸時代には、東海道を行きかう人々が旅の安全を祈願したりしたそうです。

さて、当日。全国的に大荒れの天気、と言われていたはずが、晴れ女001_2のわたくしの効果 か、日ごろの行いが良いのか、すっかり晴れ、むしろ暑いくらいの天気の良さの中、予想外に簡単にその神社は見つかりました。
もっと山の中を想像していたのですが、バイパスからもすぐ、そして小道に入るとすぐ目の前に神社はありました。目の前はあれは、田んぼですかね。見渡す限りのどかな風景です。

境内に入ると目の前左手に見えるのがりっぱな楠です。
何事も興味があるものは触る癖のあるわたくしはポンポンとこの楠さんを触ってみました。穏やかで優しい、どこか懐かしいような木でした。すっかりこの木を気に入っているわたくしにこの神社のおばちゃんが「上にある杉の木の方が古いよ」と教えてくださいました。
ご神木の杉は拝殿の右手にあります。確かに太くて立派、その名の通り、まっすぐに伸びた大木です。

ほんとに小さな神社なのですが、清楚な中にも凛とした美しさがありました。時々、世界中でこんな場所に出会うことがあります。神様がいる感じ、とでもいうのか。
ゆっくりと見て回って小一時間。その間にも次々に参拝客がいらっしゃいました。遠く広島、岐阜あたりからも。
海外の教会や日本の神社仏閣でも、古今東西どこにいようと、人が祈りを捧げている姿は美しい、と最近思います。

004 30女はお守りをたくさん持っているのだそうです。わたくしも「ことのまま」になるよう一つ購入してきました。
わたくしのおみくじはまたもや「大吉」でしたが、またその言葉が素敵でした。少しご紹介しますね。
「死ぬる思いも祈れば神の強い力で生き返る 七ころび八起きという。倒れても起き上がり、ころんでも立ち上がり、力をおとさず、希望をすてず(中略)正しい道をぐんぐんと進んで行く…」
素敵なメッセージでした。皆様にも素敵な出来事がありますように。

 007
帰りに梅を見てきました。まだ八分咲くらいでしたが、梅も渋い美しさですねぇ。
花を愛でる様になったのはいつのことか。やっぱり30を過ぎてからかしら。
わたくしもこんな風に可憐に咲いていたいものです。そう、可憐に。
そうそう、これ、しだれ梅っていうのだそうです。

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ベンジャミン・バトン

映画「ベンジャミン・バトン」を観てきました。

まず、最初に一言言わせてほしい。「ブラッド・ピットってなんて素敵なのぉ~!!」
みんなもちろん知っている、と今頷いていると思うけど、やっぱり素敵なんです。何度観ても。惚れ惚れするほどイイ男、とはこういうことを言うのだろう、と思う。
彼がこの映画の中でバイクに乗って登場するシーンがあるんだけど、美しいのよね、全てが!オーラが輝いている?う~ん、ほんとにイイ男である。
が、もちろん彼の魅力は外見だけではない。その役の幅の広さは世界一?と思われるほど。本人が気に入っている、と言われる「トゥルー・ロマンス」のクレイジーなちょい役やプロデュースをした「ディパーテッド」はわたくしのお気に入りの作品でもあり、多才ぶりを発揮しています。

さて、そんなブラッド・ピットがまたもやデビッド・フィンチャー監督作品にケイト・ブランシェットと共に出演しています。ケイトさんとは「バベル」でも夫婦役でしたね。
デビット・フィンチャー監督だから受けた、ということもあるだろうけど、物語を見終えて、ブラッド・ピットが選んだ理由がわかる映画だな、とわたくしは思いました。
「人生は何が起きるかわからない」、「他人がどう思おうと自分の道をいけ」、前向きなメッセージ溢れる心温まる愛の物語です。

1918年、ニューオリンズ。80歳の老人のような姿で生まれた赤ん坊が老人ホームの軒先に捨てられています。心優しいアフリカ系の女性に拾われ、ベンジャミンと名付けられました。そのベンジャミンは年を追うごとに外見が若返る、という残酷な運命を生きなければなりません。外見の奇妙さを好奇の目で見られ、愛する人々の人生と逆行する人生を歩み、多くの別れを経験しなければなりません。
彼が恵まれていた、とすればその勇敢で好奇心溢れる心を持っていたことと、彼を特別扱いしない「家族」や友人たちとの出会いに恵まれていたことでした。
彼らとの出会いを通し、老人の姿で少年の心を持った青年は、大人になり、恋をし、別れを経験し、戦争を知り、大切な人々と永遠の別れを経験し、そして唯一の愛を知っていきます。

物語は病院で死の床につく老女、デイジーの娘がベンジャミンの日記を読む、という形で進む「君に読む物語」方式?です。
ベンジャミンにとってもデイジーにとっても、運命の出会いであった相手。
互いに別々の人生を、一人は若返り、一人は老いてゆきながら、惹かれあい、すれ違い、例え遠く離れて生き、別の人と恋に落ちようと、共に愛し続け、ひと時も忘れたことのない相手。その二人の愛が物語のメインとなっています。
会っていなくても、隣に誰が寝ていようと「おやすみベンジャミン」「おやすみデイジー」と呟く気持ち、何だか頷いてしまいす。
永遠にすれ違う運命にある人を人は愛することができるのか。小学生とおばあちゃんになった二人に変わらぬ愛は存在するのか。愛する人と共に年を重ね、普通に愛することができない苦悩。そこにこの物語のテーマがあります。
ベンジャミンの行動は正しく、そしてデイジーの選択もまた正しかった。わたくしはそう思います。共に過ごすことだけが愛ではなく、色んな愛の形があります。相手を思いやるからこその愛。でも、最終的には愛は止められないのですね。

映画の中のセリフにあるように、人と違う生き方をしなければいけないベンジャミンだけでなく、すべての人は孤独に生まれ、孤独に生き、孤独に死んでいきます。
永遠など存在しないベンジャミンのように、人は一瞬一瞬を生き、違う価値観を知り、今まで感じたことのない気持ちを知り、人生の美しさを味わうべきなのです。
そして、周囲の人への限りない優しさと敬意と、できればたった一人愛する人を伴って生きていきたいものです。

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レボリューショナリーロード

映画「レボリューショナリーロード」を観ました。
あの「タイタニック」コンビ、レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット二人の出演作です。

話はズレますが、わたくしは「タイタニック」を3回ぐらい観てるでしょうか。。。最初は映画館、その後はTVで観たり、録画だったり。でも、毎回同じ場面で泣くんですね。不思議なことに。ジャックが死の間際ローズに「君はこんなところで死ぬ人じゃない。暖かいベッドで、幸せな人生を過ごすんだ。だから、君は生きるんだ!」とかなんとか言うシーンです。
一番最初の映画館では、あまりのわたしの号泣ぶりに隣にいた友人が途中で「大丈夫?」と半ば呆れて聞いてきたほどです。こう書いている今も、目頭が…。どうもあのシーンは弱いんですね。

と、今回も泣ける映画なのかしら?と何のチェックもしないままこの「レボリューショナリーロード」を観てきました。
はっきり言ってしまうと、好き嫌いが分かれる映画だと思います。
内容も重いし、決して気持ちの良い映画ではありません。けれど、何かしらの問いかけを残す物語だし、たぶん、映画が好きで観にいくようなタイプの人には、胸に響く人間ドラマだと思います。

1950年代のアメリカ。レボリューショナリーと呼ばれる通りに引っ越してきた美男美女のフランクとエイプリル。二人の子供もいて、傍目には幸せそうな普通のカップルです。
陸軍時代パリにいたことがあるフランクは、今はNYCで普通のサラリーマンをし、「こうはなりたくない」と思っていた父親そっくりの平凡な生活をしている。
軍にいた頃の方が生きていることを実感できた、と思っている。
女優になる夢があり自分を特別な人間だ、と思ってきたエイプリルは、自分が取立てて特別ではないことと、平凡な主婦として過ごさなければいけない現実を受け入れられずに、苛立ちを隠せない毎日。
浮気をしたり、同僚と楽しんだりして、どうにか現実と折り合いをつけているフランクにエイプリルはパリへの移住を提案します。
ここではないどこかへ行って、もう一度生きる情熱を取り戻そう、と。
フランクをなんとか説得し、準備を進めるものの、ある日エイプリルは3人目を妊娠していることに気づきます。子供が生まれる以上無茶はできないと言うフランクと、それでも行きたい、というエイプリル。「大丈夫、この国で幸せになれるよ」と訴えるフランクの声はエイプリルの心に届くのでしょうか。

年を重ねて、誰もが人生に、自分自身に失望し、生きる情熱を失っていきます。
自分に正直に生きようとするフランクとエイプリルの生き方は、非現実的で無謀だと周囲の人は思っています。この二人と対照的に、隣に住む若い夫妻は、本心を隠し、お互いにうまくやっていこう、ということだけを考えている平均的なカップル、として描かれています。
唯一彼らに賛成するのは、精神病の男性だけ。精神を病むほど真面目で純粋な彼の目には、この世界は偽善者で溢れ、本当の意味で生きている人間などいない。
「虚しさは誰でも感じることができるけど、絶望感を味わうには勇気がいるんだ」
そう彼らを励まします。
エイプリルの心の闇を正確に理解していたのは、この精神病の彼だけでした。
人と人の間で、男女の愛は本当の意味では役に立たないのだと思います。
どんなに理解をしようとしても、人は他人の心をすべて理解することなどできず、むしろそんなことを考えることは、おこがましいことだとわたくしは思います。
ただ唯一愛する人にできることがあるとしたら、愛しつづけ、信じる、とリスクは承知の上で決めること以外にないのだとわたくしは思っています。

理想と現実。少なからず誰もがぶち当たる壁です。
理想主義に生きることも破滅的に生きるのも、「大人にならなきゃな」と分かったような顔をして生きるのも、その人の自由だとわたくしも思います。けれど、何の努力もせずにただただ日々を過ごし、情熱を失っていくことだけは、ごめんだと思います。
一応大人と言われる年齢?のわたくしにしてみたら、必要以上に人に迷惑を掛けない程度にあがいてみる、ということでしょうか。

ラストシーン。人の噂好きな不動産屋の女性がフランクとエイプリルの悪口を言い続けている横で夫が補聴器のボリュームを下げていきます。良いシーンです。
この映画に救いはありません。けれど、救いのないこともまた、人生の側面のひとつだとわたくしは思います。

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月日は百代の過客にして…

こんにちは。
2009年も早1ヵ月を過ぎました。もう2月です。
年が変われば、何かが変わる、と期待していたものの、当然何も変わるわけがなく、問題は山積み。挙句に私の気持ちだけを取り残して、環境ばかりが急速に変化し、強制的に変化を求められ、独り取り残されている気がします。
ただ、この間に偶然出会った人、偶然読んだ本、偶然見た映画、そのすべてから伝えられたメッセージはすべて一緒でした。
「人生は思い通りにならないけれど、自分が思う通りに生きるべきだ」
頭ではわかっていても、人は実感しない限り、その言葉の意味を知ることができないのかもしれません。
考えてみると、わたしの周りにいる人たちはみんな生きています。困難であっても、自分の気持ちに正直に人生を謳歌しています。だから、わたしはみんなのことが好きなんだな、とやっと気づいた気がします。

思えば、この何年も「どう生きるべきか」と考え続けている気がします。
「何が幸せなのかわたしにはわからない」とそう言い続けてきました。幸せの形は人それぞれ違うのに、世間一般の常識がすべての価値の基準のように錯覚してしまうことがあります。自分の価値の基準を保ち続けることは、時に辛い選択にもなります。
自分の中の価値の基準が揺らいでしまう間は、何をしてもダメだ、とそう思ってきました。例え、結婚して生活の心配をしなくなったとしても、誰々の奥さんになっても、誰々のママになっても、「わたし」という人間がどう生きていきていきたいのか、それが固まるまではきっと後悔が残るだろう、とそう思ってきました。
そんなこと言ってるから、結婚できないんだろうな…。
でも、ここにきて、逃げ道は塞がれてきている気がします。

「人間万事塞翁が馬」そんな風には考えられないほど痛い喪失もあるのだけれど、それでも、そう思って生きてゆくしかないのかもしれません。
「もっと本質を見たほうがいい」別れ際、最後の電話である人がわたしに言った言葉です。覚えているかはわからないけど、わたくしの胸に突き刺さった言葉のひとつです。「本質」子供のころから大好きな言葉で、わたくしが一番大事にしていること。
自分の意に反することをし続けなければいけない時、迷宮に入ってしまった時、ふと、あの時、彼がわたしへのたっぷりの憎しみと愛情を込めて言い放ったこの言葉を思い出し、自問します。「本当にこれで良いのかな」と。

嵐のような日々、が時々訪れます。
どんな人にとっても人生は楽ではありません。

ぬるい眠り」わたくしの好きな作家の一人、江國さんの短編集です。江國さんの小説の登場人物の生き様はいつも一貫しています。例えそれが世間の常識からどんなに外れていようと、その思いや愛を貫く人。そしてその愛は、どっぷりと深い。静かに、上品に、理想主義でありながら、現実的で、生きることに前向きな人たち。
あとがきで「3編は気に入っている」とありましたが、わたくしが気に入ったのもちょうど3編でした。「ぬるい眠り」、「清水夫妻」、「ケイトウの赤、やなぎの緑」。
彼女たちのようにわたくしも自分の感覚だけを信じて、恐れずに、そしてみんなに「愉しく生きていた」と思ってもらえるような生き方をしたい。
というより何よりも、私自身がもっと人生を愉しまなくてはいけません。

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